真面目系クズの自分時間

真面目系クズが自分の気になることを書いていきます!漫画やアニメがメインになっています!

自己紹介_ちょっと詳しく!

どうも!
今日からブログを始めましたicEです。

前回の記事をチラッと見てくださった方で、
こちらをご覧の方!

ありがとうございまーす!
こちらでは

・私の生い立ち

について、お話していきます。

見にくい箇所、多々あると思います(´・ω・`)
随時加筆修正していきますので、何卒!

では!
自己紹介から。。。
どんな人間が伝わればいいなぁ・・・
ブログ開設のきっかけを流れで説明しまーす。

___________________________

名前はicE(アイス)です。
Eだけが大文字なのが、ポイントのつもりですの。

生まれ、育ちは大阪です。

【幼稚園】

幼稚園の時代で覚えているのは、

自分で前髪を切ったことかな。
個人的には大人なことをしたつもりだったのですが・・・

母が見たときには「どないしたん!?」と大騒ぎに。
そらそうよ。私でも子供が急に前髪無くなってたらそういうわ・・・

そこで素直に言えばいいものを、母の様子にびびりまくって

幼稚園で知らん子に切られた!と誤魔化す。

この当たりから既に屑っぷりが・・・
目の前で母が幼稚園に電話をしているのを見て、

えらいことになったでーと思っていました。

次の日、偉いことに。
幼稚園でシスター三人に呼ばれて、各教室巡り。

犯人探しをするわけですね。。。
犯人は私なのですが・・・

犯人兼被害者になった初めての瞬間でした。

シスター達に、
「先に部屋に行って見てくる!」と走り出し、
教室前でしゃがんで待機。

ちょっとして扉を開け閉めして、あたかももう見ましたよー、と言わんばかりに。

「あら、待ってたの?」
「うーん、分かんなかったよ。」

他の教室でも同じ事をして、その日は終了。
正直、子供心にやばみ・・・となってました。

結局、この子(私)は誰かを庇ってるんだ!というのが、
幼稚園の結論で母もそうかそうかと言った感じでした。

なんだか優しい子に思われたのが、凄い子供心にぐさっときました。
そこで言うべきなのです。

「自分でやったよー!」

ってね。
でも将来立派な真面目系屑になるべく、黙ってたのが私です。
幼稚園の思い出って他にないのでは・・・

【小学校】

小学校に進んでからも、真面目系屑として成長します。
日々の生活はしっかりする、問題に巻き込まれそうな時は無垢を装うっていう。

要は擬態してたわけですね。
icEはそんなことせんやろー、とかわざとじゃない!とかそんな恩恵を得ていました。

いや、まぁほんとに大した問題は起こしてませんが。
ラブレター事件位ですかね・・・
この件はまた別記事に・・・

【中学高校】

そして中学高校。
一貫校に行った私は、全く勉強しませんでした。
なんで皆そんなに勉強すんのー?位なものですよ!

そんな風に舐めていたら、やりました。

中学1年1学期中間 学年ドベ。

1学年163人だったと思うのですが、163/163でした。
当然三者面談が実施され、もっとやらんとあかんのや!とその時だけ反省しました。

しかし中学3年間で三者面談を回避したのは2回位じゃないかなーと。
いやね、学年の下から何%じゃなくて、クラス下から何%だったんですよ、私の学校!

三者面談もされなれてくると、母も次そろそろか?って聞いてくるように。
たまーに回避したら、カンニングを疑われる始末。

三者面談で、大体最初に言われるのは、

「真面目に授業受けてますし、宿題も出してて・・・」

つまり真面目を装ってたわけですね。
こうするのには、訳がありまして。

中学はいいんですよ、まぁ上がれるから。
高校ですよ、高校。

高校に上がってからは三者面談めっきり減りましたね。

で。

何で真面目系だったのかですよね。

期末試験には平常点がつくんですよ!
要は単位のため!

勉強出来ないから、平常点で赤点を回避していくスタイル!
日々勉強は頑張れない、でも不良ってわけでもない。
でも点数は取れない・・・

となれば、平常点を稼ぎにいくわけっすわ。
この時にはもう真面目系屑として完成してたと思われます。

【大学】

話は変わって大学へ。
私は理系希望でしたので、大学も理系学部に進学しました。

ここで私の処世術が効力を失います。

大学の評価に平常点はない。。。
いや、正確には課題出したり出席したりであるにはあるんですが。

「icEは普段真面目に受けてるし、下駄はかせるか・・・」

っていうのがない!
ほんとに!

真面目系屑最大のピンチでしたね。
まさか本当に点数取る必要があるとは・・・

しかし大学のテストには秘密兵器がありまして。

ずばり過去問!

幸い入学初日にテニス部に入っていた為、
先輩からは受け継がれし過去問達が!

なんとか凌いでいきました。
ここで真面目系は息を潜めていくことに・・・

つまり。

ただの屑になったわけですね。
一皮剥けたぜ!

出席はする!(授業は聞かない。)
課題は出す!(皆で分担して)
勉強はしない!
何故なら!

過去問があるから!

ある程度の年代分揃えとけば、似たような問題が絶対あるわけで。
それのみ対策する!という屑っぷり。

そして何とか卒業します。
次はまさかの大学院!

大学院って聞くと、なんだこいつ散々無能アピールしてたのに、院生かよ・・・って思うと思いますが!

待って!話を聞いて!

院生になる最初のきっかけは、

就職したくないから。

です。まじで。
どうすれば就職せずに済むか。

そこで取った方法は、ある程度就活しない、だった。
就活をしてしまえば、もしかしたら就職してしまうかもしれない。
そして私は時期を待ったのである。

大学院の受験シーズンを!
周囲が内定を勝ち取り出す頃、私は違う大学の院を受験してました。

単純にそのまま上がるのは違うなーと思ったのと、
当時の研究室が好きでなかったので。

なんだかんだで、ダメだったら拾ってもらえるやろ・・・と超絶甘い考えに。

そしたらまさかの前期で合格!
そのまま無事卒業して、次は石川県へ。

【大学院】
気持ちはそのまま大学生。
しかし現実は甘くねぇ!

私の行ってた大学院って、学部がないんですよ。
全員院生。

そして授業形態は1/4学期制。
つまり3ヶ月で授業が切り替わるわけです。

それで単位を取りなさいと。
私は物理系だったのですが、生物化学も取ってね!っていう鬼畜っぷり。

これも何とかクリア、研究は上手くいかなかったけど。

そして就活。
大阪に帰りたい一心で石川から大阪に移動しまくる日々。
無事希望していた企業から内定頂きまして、とにかく卒業。

大学院の思い出は、冬の雪がやばい。
以上です。

【社会人 1社目】
めちゃくちゃ楽しい会社生活。
やりたい仕事に理想の上司。

ただ給料が安いことを除いては・・・
残業代とは!

先輩社員すら残業代の申請方法を知らないという。
いや、誤解なんですが・・・

残業代が出ない!

のではなく。
残業代が出せないから早く帰ってね!

スタイル。
なるほど確かに19時半を超える残業は、明日にしなはれ、と言われてました。

つまりお金以外は最高だったわけですね!
しかし一番慕ってた先輩が転職。

給料について教えて貰うと、ちょっと怖い・・・
って位の金額が出てきまして。

え、私はこれからこの給料位を・・・

満たされていたからこそ、気が付かなかった。
私は転職を決意。

そこからは早かった。
この転職についても別記事にしますね。

そして円満?退職。

【社会人 2社目】
三重県へ。
そこそこ大きな会社に入りましたが、ここから徐々に・・・

残業代は出ますが、残業が多い。
社畜様からすれば余裕なんでしょうが、私は真面目系屑。
22時半まで毎日働くのは、重労働だった。

1年目は何とか乗り切り、2年目。
かなりハードな部門に異動。
22時半は当たり前、朝早くから行って作業することに。

そして3年目。
更に部門異動。ここからが地獄だった。

深夜までの残業は当たり前。
土日に出ることも当たり前。

客先への説明に出るのも早朝、帰りは深夜。
ふらふらになりながら、仕事をしてると上司から資料のダメ出し、仕事のダメ出し。
もう何が何だか分からなく。

口癖は帰りたい。
家にいてもふっと出る帰りたいという口癖。

家に帰れた時に涙が出てくる。
家に帰って時計を見ると1時。今からお風呂入って・・・寝れるのは2時前。
明日は出張だから6時には家をでないと・・・

そんな生活をしていて、ついには職場に入れなくなってしまった。
うちは左折で構内に入るんですが、ハンドルがきれない。

そのまま通過・・・
やり直しで左折。

でもダメ。
どうしてもハンドルが切れず、休むことに。

寝れず、起きれず、動けず。
同僚に勧められて精神科を受診。

診断結果は適応障害でした。

そしてついに5月末から今まで休むことになりました。復帰の目処はついていません。

生い立ちは以上です。

結構な量になっちゃったので、本記事はここまで!
読んで頂いてありがとうございまーす!